『セカンドオピニオン』という言葉をご存知でしょうか?
基本的には医療における言葉で、病気の診断や治療方針に関して、現在の主治医とは別の医師に対して求める”第二の意見”、また、その意見を求めること自体を指します。
『セカンドオピニオン』のメリットとしては、別の視点からの意見を知ることができ、選択肢が広がることなどが挙げられます。
これを勉強や進路選択での話に置き換えるならば、主治医で『ファーストオピニオン(第一の意見)』を提供するのが学校の先生であり、主治医とは別の医師で『セカンドオピニオン(第二の意見)』を提供するのが我々塾講師あるいは家庭教師ということになります。
今回は、“学習塾による『セカンドオピニオン』の必要性”について書いていきたいと思います。
『セカンドオピニオン』が無いことで勉強に生じる問題
学校の先生が教えたこと = 『常識 』であり『絶対的正解』になりやすい
”第二の意見”が無いことで、生じる問題としては、”『学校の教育方針や、学校の先生の教えたこと』が子供たちにとっての『常識』であり、『絶対的正解』になりやすい”ということです。
上記の言葉は、20世紀最高の物理学者と言われるアルベルト・アインシュタインの言葉とされています。
一般的な共通認識とされる『常識』ですら、実は『偏見』で構成されているということです。
“18歳までに身につけた偏見のコレクション“とありますが、つまり、多くの場合、学生時代に『常識』が形成されていくということです。
この『常識』が形成されていく重要な時期だからこそ、勉強や進路選択における『セカンドオピニオン』が必要であると私は考えています。
勉強に生じる問題の具体例
次に、『セカンドオピニオン』が無いことで勉強に生じる問題の具体例を3つ紹介いたします。
1. 勉強方法が固定化されやすい
この『勉強方法の固定化』に関して、具体的な一例を出したいと思います。
学校では頻繁に、『覚えるために漢字や英単語を何度も書くこと』を強制されたり、学校にも塾にも『書かないと覚えられない』と仰る先生が一定数います。
これには大きな問題が有ると思います。
『覚えるために書くこと』自体が問題なのではなく、「覚えるためには、書かなくてはいけない」という固定観念が子供達に植え付けられてしまうことが問題だと私は考えています。
実際に、私も中学生くらいまでは『書かないと覚えられない』と思い込んでいましたが、高校生になって以降は『実は、書かずに覚えられるのでは?』という疑問が湧き、試行錯誤の末、“書かずに覚える”という技術を習得しました。
ですので、他の記事でも申し上げましたが、私としては、“覚えられれば、書く必要は無い”と思います。
覚えるために書くことが必要なら、書いて覚える。
覚えるために書くことが必要ないなら、書かないで覚える。
つまり、最終的に『覚える』という同じゴールに辿り着けばいいわけなので、ルートはいくらでもあるということです。
ただ、選ぶルートによっては時間効率に差がつき、その結果として、点数にも差がつきます。
私は大学受験に関して言うと、第一志望の大学に入るためには半年間で偏差値を20ほど上げる必要があったため、時間の猶予がなく、かなり切羽詰まっており、時間効率を極限まで上げる必要がありました。
もしあのまま『書かないと覚えられない』と思い込み、書いて覚えていたら、大学受験には絶対に間に合わなかったと思います。
これだけは確実に言えます。
私はこの経験から、”『常識(思い込み)』に縛られていては、劇的な変化は見込めない“と学びました。
私自身は上記の通り、『セカンドオピニオン』によってそれに気がつけたわけではないので、『常識(思い込み)』から抜け出すまで時間がかかりましたが、もし『覚える方法は”書く”だけではない』という『セカンドオピニオン』があったら、間違いなくもっと早くから抜け出せたことでしょう。
色々な人から意見を聞くべきであったと後悔しています。
2. 解法が固定化されやすい
例えば、中3数学の『展開』に関して言うと、すべての問題を公式を用いて解くことを半ば強制する学校の先生もいたりします。
そのせいで、『公式で解かなければいけないんだ』と強く思っている子もいたりします。
公式で解くことにこだわり過ぎて、肝心のスピードと正解率が犠牲になっていることまであります。
私は、問題によって解き方を変えるべきだと考えています。
数学で必要なのは、スピードと正解率であり、公式を用いることで、それらが損なわれるリスクがあるのであれば、”無理に使うものでもない”と考えています。
言うなれば、公式は『諸刃の剣』であり、完全に使いこなせれば便利なものですが、中途半端に扱うと、むしろ時間がかかったり、間違えるリスクが増える場合があります。
ただ、『公式を答えよ。』という問題が定期テストで出ることもあるので、公式を覚えること自体は確実に必要だと思います。
つまり、公式を使った方が素早く正確に解けるのであれば、”使い”、手間が増えるので有れば”使わない”という方法も有ると教えています。
臨機応変に問題に対応する判断力、つまり、『正解を最短で導き出す手段の選択ができるかどうか』も含めて学力であると私は考えています。
3. 間違いに気がつけない
これは稀なケースだとは思いますが、実際にあったことなので、ご紹介します。
以前、英語の授業をしていた時に、生徒が行った訳が違うことを指摘した際に、「学校の先生から、こう訳せと教わった」と言われた事がありました。
それはニュアンスの違いなどではなく、完全な誤訳でした。
当然、英語と日本語は別の言語なので、完全な翻訳は不可能ということを、念頭においたとしても、明らかな間違いでした。
他にも、数学でも、毎回同じような計算ミスをしている子が2人いて、その子たちは同じ学校の先生に教わっており、「こう解けと学校の先生に教わった」と言っていました。
これらのことから、学校の先生の授業での解説が間違っているという場合、あるいは生徒に間違って伝わってしまい、誤解して受け取っている場合の2つのパターンが考えられます。
流石に、前者の『学校の先生の授業での解説が間違っている』というのは、人間が教えている以上『絶対にない』とは言えないにしろ、極めて考えづらいので、後者の『生徒に間違って伝わってしまい、誤解して受け取っている』というパターンの方が多いかとは思います。
このように、学校での1対多数での集団指導では『先生と生徒間での齟齬が生じやすい』という点があります。
自分で勉強した際に、間違いに気がつければ問題ないですが、なかなかそうもいきません。
ですので、学校の先生とは別に、勉強を見てくれる人間が必要であると思います。
特に、個別指導塾あるいは家庭教師という1対少数指導であれば、1人1人の問題の解き方や、答えの確認まで、丁寧に行えるので、こうした間違いに早い段階で気がつくことができ、齟齬があってもすぐに訂正することができます。
進路選択においても『セカンドオピニオン』は必要
大袈裟ではなく、『進路を決めることは、その先の人生を決めること』と言っても過言ではありません。
人の数だけ異なる考え方や経験、知識があり、学校の先生だけでなく、できるだけ幅広く多くの人の意見を聞いた方がいいです。
そうしないと、身近のたった数人の偏った常識や認識に人生の選択を左右されてしまうことがあるからです。
塾に通っていれば、学校の先生とは別に、塾の先生という異なった立場からの異なる角度の意見を得ることができます。
次に、実際にどんな偏った常識や認識が蔓延しているかを具体的に紹介いたします。
田舎特有の『国公立信仰』・『国公立大学至上主義』
例えば、地方には所謂『国公立信仰』と言われるものがあって、未だに『国公立大学至上主義』のような考えに染まっている人が多いです。
国公立大学至上主義とは、『すべての国公立大学がすべての私立大学の上に位置する(偏差値やレベルが高い,優れている,就職に有利)』、『国公立大学に行くことが絶対的正解である』というような極端な考え方のことです。
ここ群馬県でも、未だにこういった誤った認識を持っている方が多いと感じます。
現状、学校単位で見たら、群馬県には上位の公立高校を上回る私立高校、国公立大学を上回る私立大学が存在しないのも、こういった誤った認識が未だに根強く蔓延る要因なのではないかと推測しています。
しかし、それはあくまで群馬県内での話であり、他県に目を向けると公立高校を上回る私立高校、国公立大学を上回る私立大学が数多くあります。
確かに、東京大学、京都大学などのような国立大学が日本の頂点にあるのは間違いないですし、他にも、すべての私立大学を凌駕するレベルの国公立大学も多いです。
しかし、だからと言って、国公立大学と一口に言ってもたくさんあり、その中にも上から下まであるわけで、『すべての国公立大学がすべての私立大学の上に位置する』という構図は誤った認識であると言うほかありません。
(実際に『国公立信仰』や『国公立大学至上主義』などと検索していただければ、私と同じく異議を申し立てている方が多くいらっしゃるので、ぜひ参考にご覧ください。)
実際に、ある生徒の模試の結果(同じ教科での受験を想定したもの)でも、地元の国公立大学でC判定(合格率50%程度)なのに、東京の私立大学でE判定(合格率20%以下)ということがありました。
つまり、この場合、地元の国公立大学よりも東京の私立大学の方が合格する可能性が低いということです。
もし本当に、すべての国公立大学がすべての私立大学の上にあるのであれば、こうした結果は本来ありえないわけです。
だからこそ、若いうちに、こうした間違った偏見や認識に染まらないように、多くの人からの意見を取り入れることが大切なのです。
『国公立信仰』・『国公立大学至上主義』の先生や高校も少なくない
そういった『国公立信仰』・『国公立大学至上主義』が根強く蔓延る地域では、三者面談などで国公立大学受験(特に地元の)を学校側から強くオススメされることも多いです。(学校によっては、私立志望だと肩身の狭い思いをすることまであるそうです…。)
かくいう私も学生時代に、二者面談や三者面談の際に、群馬大学や高崎経済大学の国公立大学受験を強くオススメされました。
どうしても東京の大学に行きたかったのでスルーしましたが…。
皮肉なことに、こうした“地域特有の凝り固まった価値観からの脱却を経験したい”ということこそ、私が東京の大学に行きたかった理由の一つでもあります。
また、国公立大学の合格実績があると、高校として地域ウケが良いので、学校の立場から強くオススメしているという裏事情もあったりします。。。
(これは生徒のためではなく、学校のためでしかないので、本当に良くない…。)
どのレベルの大学に行くかももちろん重要ですが、個人的には、大学の貴重な4年間をどの地域で、どんなキャンパスで過ごしたいかも重要だと思います。
自分が何を重視するのか、何を大学に求めているのかなど、様々な部分を総合的に判断して、大学を選んだ方がいいと思います。
まとめ
今回は、“学習塾による『セカンドオピニオン』の必要性”について書かせていただきました。
以上の理由から『学習塾は単純に勉強をする場所ではなく、『セカンドオピニオン』を得ることで、視野を広げることができる場所でもある』ということです。
当塾では、悩める生徒や保護者の皆様からの学習相談・進路相談もお待ちしておりますので、いつでもお気軽にお声がけください。
受験を制するためには、『努力』が必要不可欠ですが、『戦略』もかなり重要です。
当塾に相談していだければ、学校で相談するだけでは、思いもしなかった選択肢や『戦略』を提供できるかもしれません。
そういった部分でもお力になれれば、幸いです。